「欲しがらない若者」 ビジネスパーソンが今の若者に違和感 まにあっくすZ()

嫌消費の記事発見。
こちらは、以前の失礼な著者と違いわりと誠実な内容。
"劣等感"から来る消費意欲の減少とは唄っていない。

これらはリーマンショック以前から見られる傾向で、なにも景気変調、雇用と所得の急激な悪化ではじまったわけではないのである。

良くわかっていらっしゃる。
私なりに考えるところ、満足の置ける分野が電子媒体などの、質量を伴う"物"とは違う面における充実があると思われる。
それは、ゲームのようなものに限らず、誰かの書いたCGやMovie、ひいてはブログの情報等でも十分な充実感を得られる。

現代の若者が目指すのは、実にまったりとした、穏やかな暮らしである。彼らは消費の牽引者になれなくとも、ある意味では時代のリーダーなのかもしれない。ただ、日本経済は彼らへの対応を急がなければならないといえる。なぜなら、彼らの満足が支出と結びついていないから。

このまま、経済の低成長とモノあふれが大きく変わらなければ、続く世代もおそらくスローライフ型となってしまう。それが果たして日本にとってプラスなのかマイナスなのか、考えてみる必要があるのかもしれない。

とりあえず、つっこむと別に"目指している"から消費が収まっているわけではない。必然という言葉がしっくりくるのではないか。
極、当たり前のことをやっている。
バブル期を生きた人から見るとそれは目指さなくてはいけないような場所なのかもしれないが、
消費することは自分にとってあまり良い結果をもたらさない場合が多いことを知っている私達は、消費がおとなしい事は必然なのだ。
そして、物の価値について考えてみる。
友人の買ったウサギ用ハーネスは1700円程する。
しかし、私は母の持っていたミシンを借りて穴の開いたジーパンを裁断して、マジックテープだけを100円均一で購入して、中々豪華なウサギ用ハーネスが完成している。
この1600円の差は自分にとっての利益である。
この記事では、我々若者に対しても消費を嫌うことが日本にとってプラスかマイナスなのか考えろ、つまり消費しろ!と
誘導している記事に過ぎない。
しかし、明白に見て取れる1600円の事実を突きつけて、それでもなお”見合わない消費”をする人は・・・
ミシンがない?小学校で絶対に裁縫道具を買わされているはず。そんな言い訳は、残念ながら通らない。
技術がない?なら私の友人のように買えばいいだけの話。でも、買った後に不満に感じるのは当人に他ならないのだ。



嫌消費、こんな言葉が生まれてしまうような現代の物価について、若者を更生させるのではなく、物価の方を良く考えてみて欲しい。
最近買った、空気清浄機を引き合いに出せば、8000円で標準的な機能が付いているものと、
68000円で○○社独自の方式により実現した新機能が〜と歌い続ける企業。
細かい性能差は眼をつぶるとして、6万円の性能差はその機能には無い。
それは、制作経費から割り出された消費者には納得できない上乗せ金額に他ならないのだから。