酔って駅のホームから落ちた女性を助けた男性の話を聞いた、”私と父の反応”

ニュースとしては、酔って駅のホームから落ちた女性がいて、
迫り来る電車から男性が女性を助けて命を救ったニュース。



そのニュースを祖父がすごい話があるもんだと話す。
その時の話の内容だと、私は
「駅のホームの下の部分には人が入るくらいの空白がある。避難用の空白である部分もある。
その避難用の通路は今回の例ではとてもよく機能したのだな〜」だった。
先ほど、父が帰ってきて私はその向かい側で洗濯物をたたんでいた。
ニュースでその特集が取り上げられた。
私の印象としては、祖父の話していたことよりも状況が事細かに再現された映像を見ることで別の感想が浮かぶ。
父:「これ、すごいよな。でも、酔っ払ってた女性を線路に寝かせたら、実際電車来て思わず顔上げて危ないよな(笑」
私:「それはあるかもだけど・・・それより、男の人結果として見捨てたことになるわけじゃない。
   ・・・実際に、女性の身体に触れたんだから、これで事故になってたら”殺人幇助(ほうじょ)”とかになるんじゃないの?」
父:「殺人幇助なんて言葉は無い。」
私:「いや、えっと・・・そんな意味合いの罪に問われる可能性が出てくるんじゃないのかってこと。」
父:「そんな罪状ないだろ。そんなこと言ってたら誰も人を助けることが出来なくなるじゃないか。」
私:「だからさ、助けないんじゃないの?」
父:「・・・?」
私:「助けようとしたとしても、その対象に触れる事で関与・・・
   事故になったり、死んだりしたらその人、加害者になりうるじゃない。
   だったら、最初から関与しない。そのまま第三者に徹する。傍観者のままその人を見殺しにする。
   少なくとも、私はそうするよ。自分に利害関係の発生しない人ならね。」
父:「・・・もう寝る」
私:「・・・。」



ちょっと、残念だった。
私としては、一般論を絡めた上で自分の意見も述べた。ただ、そんな話友人とするならまだ、上記の反応でいい。
私が話をしたのは父なのだ。
変な話だが、ちょっと父を試したようなつもりもあって、上記のようなことを話した。
父親ならば、人道を諭すようなことを一言でも言ってくれるんじゃないかと。
だからこそ、非常に残念だった。
父親に何を期待したんだろうと、かなり後悔の念にさいなまれている今の時間も嫌だ。
金八先生のような出来たシナリオのまとめみたいな言葉が出れば最善だが、差し引いても、せめて私側に干渉する言葉が欲しい。
昔からそうだ。
言葉のキャッチボールなんて成立していない。完全なフリースロー
私の投げた言葉は空間に消える。
私のコメントは、否定されることも肯定されることも無い。



極論という部類の話ではないはず。
確かに一般論であり、自分の立場で考えれば誰しもが”関与しない”という行動を取ることは、まず容易に予想できる。
小学校の学級会で上記のテーマで話をしたら、先生を筆頭にクラスのほとんどの人が「落ち着いてその人を助けるように対応します」
とか、気持ちの悪い連帯観念で全員の認識を合わせないと学級会が終わらずに帰れない。



・・・嫌な記憶を思い出してしまった。
着色料の授業の時だ。
教師が着色料や科学薬を使った果汁30%のジュースは体に悪影響を及ぼす。絶対悪だ。だから飲むんじゃない。
という感じの授業を50分間延々としていた。
授業の終わりに、「じゃぁ皆さんに聞きます。果汁100%のジュースと果汁30%のジュース。どちらを飲みたいですか?」
果汁30%のジュースを飲みたいと手を上げたのは私とほか2名ほどだった。
教師が私に詰問する。
「体に悪いという説明をした30%のジュース、なんでこっちを選ぶの?」
私は答える。
「単純な話、飲みやすいからです。100%ジュースはえぐ味があり飲みにくいからです。」
今考えれば、自分の発言はとても理にかなった意見だと思う。
しかし、あの授業においては私は悪者扱いでその授業は終えた記憶がある。
嫌な記憶ほど印象に残りやすい物だ。



あの時、100%ジュースを飲みマースとか言って、人を異端視したその他大勢共も、
現状の100%ジュースの消費量を改めて見てみろと言いたい。
それでもなお、自分が死ぬ可能性を含む行為を犯してまで、酔っ払いを助けますと綺麗ごとをいえますか?



一応ですが、別にこのニュースで助けに入った男性の行った行為自体はすばらしい行いだと思います。
ただ、自分ならそんなことはしない。目の前で気分の悪くなるような光景が、直後に展開されるとしても。というだけの話です。